野生動物

 哺乳動物の睡眠時間はまちまちだ。人間は七、八時間程度が平均と言われるが、十四時間も眠るライオンもいれば、四時間ほどしか眠らないキリンもいる。身体の大きさや生息環境にも依存し、まとめて一気に睡眠を摂るスタイルはそう主流でもない。特に命の危険がある野生動物は顕著で、周囲を警戒し細かな覚醒を繰り返しながら、わずかな安全地帯で短い睡眠を重ねる。立って眠るのに適した身体構造は、野生環境に適応した結果か否か。
 手持ち無沙汰に調べ物をしていた携帯端末の画面を切る。液晶フィルムを貼った真っ暗な表面には、薄ぼんやりと天井の照明が反射するのみだ。ソファに深く沈み込めばスエードの生地に服が擦れる音がするし、二人分の体重を支える足はきしりと鳴った。それでも呼吸は乱れない。隣で聞こえる規則的なリズムは、すでに小一時間ほど吸って吐いてを繰り返していた。間隔が長い。ため息のように深い呼吸だ。
 遠慮のない視線で隣の男を眺め倒す。彫りの深い顔立ちに、鼻筋がスッと通っている。唇は厚みがあって、褐色の肌色をしているが、黒人とか白人とかそういった括りはよくわからない。東洋人でないのは確かだが、混ざっている感じがして印象が散漫だ。縮れた長い髪の毛が傾いた首から重力に従って流れ落ちている。空を映す湖の色は、今は瞼に隠れてしまって勿体無い。
 十分にスペースの取られた部屋を、大きめの呼吸音だけが満たす。さっきまでぴかぴかと存在を主張していたテレビモニターもしんとしたものだ。この男が選んだ隠れ家なこともあり、外の音もほとんど聞こえない。こうしてたまの映画鑑賞会に誘われるようになったのはいつからだったろうか。やりたいことが落ち着いたのか、顔もよく見せるようになった。たまには近況をしっかり聞いてみてもいいかもしれないが、話したがれば勝手に話し始めるから今はいいかもしれない。静寂の空間にあって、思考は散漫になる。
 海の底にいるような深い呼吸が一瞬だけ止まり、薄い瞼と睫毛が揃って持ち上がる。細く覗いた湖の水面は揺れていて焦点が定まらない。覚醒に至っていないことが一目でわかる。声を出さないよう喉奥だけで笑っても、ぼーっとした顔は気付かない。

「あんた怖くないの」

 苦笑混じりの声でそれだけ伝えると、隣の男の不安定な瞼がまたゆっくりと降りていく。

「怖いもんか……」

 小さな小さな寝ぼけ声でむにゃむにゃとそれだけ言って、呼吸が深くなっていく。
 大声で笑い出したくなったから、がんばって声を殺しながら震えた。ちょっとやそっとじゃ目覚めそうもないのだから、膝掛けを持ってきたって大丈夫だろう。