2024/8/24 上遠野作品Webオンリー『世界はきみのためにある2』にて発行
アンソロ『Quiet hour』より再掲




2024/8/24 上遠野作品Webオンリー『世界はきみのためにある2』にて発行
アンソロ『Quiet hour』より再掲
2024/8/24 上遠野作品Webオンリー『世界はきみのためにある2』にて発行
アンソロ『Quiet hour』より再掲
参さんの作品の三次創作です→ ミルクと狸と深夜二時
ぱたん。次いで、ぱたぱた……。ドアを閉めて、小さな足音が遠ざかっていくのを聞いて、俺はにわかに身体の力を抜く。
「もういいぞ、ハリウッド」
ソファの背もたれ越しに話しかければ、微動だにせずたぬき寝入りを決め込んでいたこの男も、隙間風みたいにため息をひとつついて、うっすらと目を開けた。
あんなに眠そうにふらふらしていても、さすがに慣れない環境で朝までぐっすり、とはいかないらしい。完全に寝入ったと思っていた詩歌さんは、今度は喉が渇いたと言ってリビングに寄っては、ハリウッドの様子を審判さながらにチェックし、今にも落ちそうな瞼を擦りながら部屋に戻っていった。多分あと一、二回は起きてくるかもしれない。
「こりゃあ、今夜は大人しくしといた方がいいな」
「……やれやれ」
「眠れないなら寝かしつけてやるぞ」
睡眠の必要がない――というか、やろうと思ってもできない俺たちの間で、それは何よりも明確な冗談だった。声色をわざとらしくしなくても誂いだと理解できる。実際、ハリウッドが緩慢に寄越した視線は、呆れとか鬱陶しさとか、そういうのを含んでいた。――が。
「?……なんだよ」
感情の色が薄い瞳に、予想する反応以外のものが混ざっている気がして、思わず口に出してしまう。こういうとき、こいつ相手に表面を取り繕っても意味がない。俺が何を察したか、何を疑問に思ったか、よく磨かれたガラス窓もかくやと言わんばかりに筒抜けなのだ。能力というよりは、単にこいつが敏いだけなんだが。
俺の問いには特に答えず、ハリウッドは狭いソファで器用に寝返りを打ち、横向きに寝転がった。俺はハリウッドの反応をもっと観察したくて、顔の見える位置を陣取る。具体的には、ソファ前方の床、毛足の長いラグが敷かれてあるそこに、無造作に座り込んだ。視線はハリウッドとほぼ同じ高さにある。
「……」
遠慮のない視線を受けてもなお、ハリウッドはこれといった反応を寄越さないし、目も逸らさない。こいつ自身が遠慮というものを知らない視線を投げつけがちだから納得だが、そんな俺もハリウッドにずいぶん慣らされたものだ。真正面からじっと目を合わせても、これといった不快はない。
ハリウッドは枕にしていない方の腕を、ソファからはみ出させるように投げ出している。所在なさげにしていたそれを、掬い上げて握りこんでみる。突然の接触にも関わらずハリウッドは反応を示さないし、俺も特に反応を期待していない。リビングルームに満ちる大気はいつまでも穏やかだ。俺たちの心臓は波打たないのだから、そんなもんかもしれない。
「子守唄でも歌うか?」
そんな台詞にも関わらず、自分から出てきた声は殊の外真面目くさっていて、からかうような音が乗らない。ハリウッドはまた静かに瞼を下ろす。これは、聞きたいってことか?こいつはいつまでも、俺に伝えることをサボる。しかしまあ、月光も綺麗に差し込んでいるわけだから、今日くらいはいいだろう。甘やかしている自覚は正直なところ、あるが。
歌い出しがわからなくてメロディだけ少し口ずさんで、思い出したところからぽつぽつ歌ってみる。古い子守唄だ。この現代には使われない言葉もいくつかあって、俺にとってももう耳馴染みがあるとは言えなくなってしまった。それでも、これしか覚えてないんだから仕方ない。
少し歌い進めて、喉奥からくつくつと愉快そうな声が聞こえる。ソファの上、月光の下、俺の右隣、死んだようなたぬき寝入りが、口角を上げて声を立てて笑っている。これが野生のたぬきなら鳥にでも啄まれているところだろう。
「……お前は、ずっとその歌だな……」
「ずっと? 前にも歌ってたか?」
「ああ……覚えていない、か」
口元だけでなく、薄く開いた目元まで弧を描いていて、途端に落ち着かなくなる。俺の覚えてない俺をこいつは覚えていて、それを見ながら笑っているわけだ。まったく、冗談じゃない。こいつが笑っているのは落ち着かない。
歌うのはやめて、横たわったハリウッドの胴のあたりに頭をあずける。肉付きが薄くても、当然心音や脈動は感じられない。死体のようにひんやり冷たい、……はず。自分も同じような温度だから、正直何も感じてはいないのだ。
サア、と流れる音がする。血流ではない、しかしたしかに流れている音が、こいつからは聞こえる。多分これは時間の音だ。速すぎて普通では捉えられない音が、停止された身体から鳴っている。どのように在っても、結局のところ時間は追ってくるということか。俺の身体からもきっと同じ音が鳴っている。空想の話だ。
「僕を……寝かしつけたあと……」
月も口を閉ざす静寂で、掠れた声が時間を停める。いつの間にか閉じていた瞼を厳かに持ち上げ、声の主と視線を合わせた。
「二度と起きなかったらどうする……?」
問いの内容に反して表情は穏やかだった。余裕があるというよりはなんだか、ひどく透明で――子供が星の動きを不思議がるような、そんな素直さがあった。
こいつの目にも映らない、わからない、未知への不安さえ抱くことを教えてほしいと言っている。
「それじゃ、俺も一緒に寝るか」
本当にそうなれたらどれだけ僥倖かと、握る手の力にこめて伝えれば、目の前の瞼が頷くようにゆっくり落ちる。
生命の音がしないから、今の会話が最後かどうか確かめることもできない。かっこつけた手前声をかけるのも具合が悪いので、同じように寝たふりをする。実を言うと、せめてあと一回くらいは、狸寝入りに飽きてくれないかと思っているのだ。
2024/3/17 上遠野プチオンリー/オンリー『世界はきみのためにある』にて発行アンソロ『はるか遠くの未来より』より再掲